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体験的アドバイス

若いアクチュアリーへ① ~ 自分の人生をコントロールしよう

私は来年で70歳になります。
生保会社に入社したのが1980年ですから、アクチュアリーとしてのキャリアも今年で47年目になります。
生保会社から証券会社に53歳で転職し、65歳で退職後は個人事務所を設立しました。
また、生保会社在籍中も他のアクチュアリーと比較して、多様なキャリアを経験してきました。

これまでのキャリアを順番に振り返ると、
 厚生年金基金課の数理担当(3年6か月)
  → 営業研修(6か月)
  → 主計部(4年)
  → 人事部(5年)
  → 経営企画部門(3年)
  → 収益管理部門(4年)
  → 団体年金の事業企画(1年)
  → 企業年金数理室長(6年)
  → 商品開発部門(2年)
  → 窓販商品の商品開発(2年)
  → 子会社の監査役(5カ月)
  → 証券会社で資産運用コンサル(11年1ヵ月)
  → 65歳で退職し個人事務所を設立
となります。

他のアクチュアリーの人たちとは違うキャリアを積んでいるせいか、最近は、昔の部下や同僚だった後輩アクチュアリーから、キャリア形成についての相談を受けることがあります。
私のHPの問い合わせページを通じて、「高松さんの話が聞きたい」という相談が寄せられます。
聞いてみると、「転職をした方が良いか? 退職後に向けてどんな準備をするのが良いか? 起業の可能性はどうか?」などについての相談です。

彼らがキャリア形成に悩みがあるのなら、もっと若いアクチュアリーたちもきっと進路選択に迷いを持つことがあるだろうと思います。
そこでこのHPで何回かにわけて「若いアクチュアリーへの体験的アドバイス」を発信してみようと考えました。
初回にあたる今回は「自分の人生をコントロールする」ということをテーマにして書いてみます。

サラリーマンになると自分にとって歓迎できない事態が起こることがあります。
例えば、
 ●自分の希望以外の部署に異動になる。
 ●同期が昇進したのに自分は遅れてしまった。
 ●自分では正しいと思えない価値観に従って行動しなければならないことがある。
 ●リストラの対象になってしまう。
 ●会社が破綻する、あるいは吸収合併等により会社がなくなる。
などです。

私が第一生命に入社したころは、生保や金融機関が破綻することは、ほぼありえないことだと考えられていました。
「寄らば大樹の陰」という言葉が、就職の際の選択基準の一つとなっていた時代です。

しかし、その後の歴史を振り返ると「どんな企業や組織であっても将来はどうなるかわからない」ことがよく分かります。
当時の金融機関で最強の組織は日本興業銀行でした。
最優秀の学生が集まりましたし、第一生命と興銀の両方に受かった学生は(私の知る限り)一人の例外もなく興銀を選びました。
その興銀も今はありません。

また、破綻を経験しなかった第一生命も2年前には大規模なリストラを実施しましたね。
「定年まで会社にしがみつこう」としていた中高年人材が大規模に整理されました。

ここで私自身のことを少し振り返ります。
第一生命に入社した私は、比較的順調にキャリアを積み重ねていました。
年金数理部門にいた間にアクチュアリー試験の合格科目を積み重ねたため、当時では例外的な人事異動として主計部門に配属になりました。
入社して5年目のことです。
他の多くの主計アクチュアリーと同様に主計部で数十年を過ごすのかと思っていたら、9年目には人事部(人事企画担当)に異動しました。

それまでは社内のエリートコースとか、同期での出世争いなどには殆ど関心がなかったのですが、人事部に異動になり初めて「当時の第一生命では、人事部がエリートコースの一つであり、経営幹部への登竜門とも見られている」ことを知りました。
その後も経営企画部門で業法改正担当を担うなど、比較的順調にキャリアを積み重ねて、いわゆる一選抜で部長に昇進しました。

しかし、50歳を迎えるころから希望とは違う仕事への配属が続くようになり、最後は子会社の監査役という閑職への異動となりました。
なぜ、このような目にあったのかは、今でもよく分かりません。
単にアクチュアリーとして活躍するポジションが、当時の第一生命にはなかったのかもしれません。
後輩のアクチュアリーたちが育って活躍していましたので、魅力的なポジションが減っていくのも当然ですね。
あるいは何か別の事情があったのかもしれません。

さて、ポイントはここからです。
子会社の監査役という閑職への異動が判明してから、私は直ちに転職エージェントへの登録をしました。
それから約3か月後の6月には野村證券の運用コンサル部門への転職が決まり、9月には第一生命を退職し野村に入社しました。

野村に入ったのは54歳を目前にした時期で、それから65歳までの約11年間を公的年金および企業年金向けの運用コンサルタント(リスク管理を含む)として過ごしました。
野村でもまあまあ活躍できたと思っています。

企業年金数理室長として6年のキャリアもありましたし、自らも複数の厚生年金基金の指定年金数理人を務めていましたので、企業年金の現場が抱える課題は熟知していました。
野村にはないスキルセットです。

また、数理に関するスキルだけでなく、証券アナリスト試験にも合格し変額年金の商品開発をするなどで、資産運用についてもある程度の知識とスキルを有していました。
さらに、50歳になって第一生命における自分の将来が危うくなってきたころから、外資系への転職を意識して英語力のブラッシュアップも意識して行っていました。
具体的にはTOEICスコアで950点をマークしていました。

これらの専門スキルと英語力があったからこそ、野村で採用してくれたことは間違いありません。
(なお、転職の際に必要な要件、言い換えれば転職面接に合格するポイントについては、別途で記事を書くつもりです。)

多くの企業や組織には、50歳を過ぎて意に沿わない仕事や閑職に回されても、転職するだけのスキルや選択肢がなく、会社にしがみつくしかない人たちが少なからずいます。
「こういう人たちはあまり幸せそうに見えない」というのが、私の正直な印象です。
そうならないためにも、若いうちから、自分の市場価値を意識したキャリア形成とスキルの獲得に努めましょう。

これが、若い人への体験的アドバイスの一つ目です。