日本では、DCガバナンスに関する意識が、不思議なほどに低いと思います。
最近でこそ「DCガバナンス」という用語も、あまり違和感なく用いられていますが、つい数年前までは「DCは加入者が自己責任で運用する制度だから、企業によるガバナンスは不要」という認識が一般的でした。
おそらく、今でもそういう認識の企業も多いと思います。
DCガバナンスに関する意識が低い理由の一つとして、「受託者責任に関する認識が不十分なことが挙げられる」と考えています。
DC制度の実施主体は事業主です。
制度導入までだけではなく、導入後も「加入者の老後資金確保」という目的を達成すべく、制度を適切に運用する義務と責任が事業主にはあります。
いい加減な運営をした場合、迷惑を被るのは個々の加入者です。加入者の老後資金形成に影響が出てしまいます。
DC先進国の米国では、事業主や受託者の責任を問う訴訟が爆発的に増加しています。
「制度運営が不適切であったために、加入者が損害を受けた」という趣旨の訴訟です。
EUCLIDという保険会社(賠償責任保険を扱っています)が公表している、“Exposing Excessive Fee Litigation Against America’s Defined Contribution Plans”(アメリカの確定拠出年金に対する過剰な手数料訴訟を暴露する)というレポートでは、訴訟に関する問題点を議論していますが、訴訟事例も紹介しています。
以下では、このレポートを読んで、私が最も驚いた事例を引用してみます。
2,365 万ドルで和解した Schlichter 法律事務所によって起こされた Anthem に対する過剰手数料に関する訴訟は、この種の訴訟の典型的な例である。
Anthem の訴状では、以下の 3 点の主張がなされた。
①手数料が高すぎる株式クラスを選択したこと
「手数料が高すぎる」という申し立てにもかかわらず、運用商品のほとんどは手数料が安いことで有名な Vanguard のファンドであった。
例えば、この制度ではバンガード機関投資家インデックスファンド( Vanguard Institutional Index Fund)について 4bp の手数料を提示していたが、原告側は「制度管理委員会は、制度の数十億ドルに上る資産規模を利用して、低コストの株式クラスで利用可能な 2bp の手数料を要求すべきだった」と主張した。
原告らはまた、6bp の手数料の株式クラスが利用可能とされているにも関わらず、この制度はVanguard Extended Market Index Fund を 24bp の手数料で提供したと主張した。
原告側弁護団はさらに、より安価な合同運用型ファンドやセパレート・アカウントが利用可能であり、それらの「手数料がより安価で、事実上同一の投資が利用されるべきであった」と主張した。
②レコードキーパーに対する過剰な手数料支払
レコードキーピングのコストは口座の資産規模には影響されないはずである。思慮深い(prudent)受託者(フィデューシャリー)ならば、手数料について資産残高比例ではなく、加入者数比例で設定するように交渉すべきであった。
③ステーブル・バリュー・ファンドを提供しなかったこと
はるかに高い金利のステーブル・バリュー・ファンド(注:「保険会社が元本や一定の利回りを保証する、利回り保証契約型保険商品」のことです)が利用可能であったにもかかわらず、マネー・マーケット・ファンドをラインアップに加えたのは思慮に欠けた(imprudent)と訴状では主張している。
この事例から分かるのは、「一般的な感覚では問題ないと思われる行動であっても訴訟の対象になり得る」というDCに関わる訴訟リスクの大きさです。
受託者の商品選定が不適切で、この事例のように手数料が高い場合は、その影響は加入者の資産残高に影響します。
訴訟社会の米国では、このような事例が見つかった場合に、弁護士事務所が主導して訴訟を起こしているという実態があります。
また、日本人の感覚では「やり過ぎでは?」と思われるような訴訟も発生しています。
例えば、上記の事例では、低コストで有名なバンガードの商品を採用していたにもかかわらず「もっと低コストの商品が利用可能だったはず」という主張を原告側では行いました。
ここまでの配慮を受託者は求められるのだとすれば、判断の妥当性を常に確保することは容易ではないと思われます。
日本は米国のような訴訟社会ではありませんから、DCであっても実際に訴訟が起こる可能性は低いと思います。
しかし、「受託者の行動が加入者の資産形成に影響する」というDC制度の特質は、日本でもそのまま当てはまります。
訴訟にはならなくとも、従業員と会社間、あるいは労使間で問題になる可能性は、十分にあるだろうと考えています。