2012年2月にAIJ事件が発覚した時、私はすでに証券会社に転職していました。
それでも、自分が以前に指定数理人を務めていた基金のことは、非常に気になります。
被害を受けた基金名が公表された時に確認したところ、私が担当していた基金のうち1基金(以下、A基金とします)が該当していることが判明しました。
正直言って「やっぱり・・・」と、暗い気分になったことを覚えています。
A基金を担当していたのは、確か2年ほどだったと思います。
前回に書いたような事情で、少し対応が難しい基金を担当することになった際に、担当を見直して、A基金の担当は別の者に移しました。
私が担当していた時から、A基金の年金財政は、他の基金以上に悪化していました。
また、悪化した要因として「アクティブに資産配分を見直し、それが裏目裏目に出てしまった」ということが挙げられます。
総合基金では良くありましたが、当時の理事長がワンマン型の人で、運用方針も自分の考えや判断で決めがちでした。
それも残念ながら、金融危機時のカルパースと同じで「順張り型」の運用判断をしがちだったのです。
例えば、2000年から2001年にかけて株価が大幅に下落したあと、確か2002年前半に株価が持ち直した時期があります。
当時の理事長は「これから株が上がる」と判断して、株の比率を大幅に増加させました。
しかし、理事長の期待を裏切るように、2002年後半から株は再度下落し、2003年3月には日経平均が8000円を割り込みました。
3年連続の大幅マイナスです
すると理事長はすっかり弱気になって、株の比率を思い切り減らしたために、2004年以降の株の戻りを享受することができませんでした。
他の総合基金の財政が改善したにもかかわらず、A基金は悪化したままです。
私は2003年からA基金の担当を外れたので、その後の経緯は後任からたまに聞くしかありませんでした。
AIJ事件が発覚する少し前に、後任の数理人から「なんだか怪しい運用会社に資産を預けたところ、運用成績がずっと良いので年金財政も持ち直しました。」と、聞いたことがあります。
その時にいやな感じを覚えましたが、結局はAIJに騙されていた訳です。
今から振り返れば「無謀なリスクをとって裏目に出てしまった」と言える事例ですが、それだけ「A基金および当時の理事長は追い詰められていた」のも事実です。
「なぜ、そこまで追い詰められてしまったか」を考えて、今後の教訓にすることが大事ではないかと思います。