私は、2001年から2006年まで、ある生保会社で企業年金数理室長を務めていました。
同時に、複数の厚生年金基金の指定年金数理人も担当していました。
主に担当していたのは総合基金です。
最も多い時期で、北海道から鹿児島まで10の総合基金を担当していました。
当時は、2000年から2002年までの3年連続のマイナス運用により、総合型基金の多くが年金財政悪化に苦しんでいた時期です。
そのため、代議員会や理事会が紛糾することもありました。
最も記憶に残っている経験を書いてみます。
ある県のトラック業界の基金での出来事です。
常務理事から予算代議員会への出席を求められたことがあります。
予算書は基本的に常務理事が作成するので、年金数理人は関与しません。
数理人が出席するとすれば、法改正等の情報提供を行うとか、あるいは決算に備えた情報提供を行うとかが目的であり、予算書自体の説明は常務理事が行います。
さて、当該のトラック基金で、常務理事が予算書の説明を始めたところ、しばらくしてヤジが始まりました。
説明の仕方が「単に予算書を読み上げる」というものだったので、時間もかかりますし、ポイントも分かりません。
年金財政悪化にストレスを感じていた代議員がイライラして、ヤジを飛ばし始めたわけです。
そのうち「数理人に説明させろ」という声が大きくなり、常務がとうとう「高松さんお願いします」と、振ってきました。
そう言われたら断ることはできません。
初めて見る予算書をつかって、ポイントだけを説明した積りです。
それでも代議員は収まりません。
「掛金はどれだけ上がるんだ」と、予算には関係のない質問が始まりました。
決算も確定していませんから、はっきりしたことは、当然ながら答えられませんね。
今から振り返れば要領を得ない回答をしたと思いますが、質問が続くとともに、ヤジと怒号が増えてきました。
多くの代議員の方々が、年金財政悪化に強いストレスを感じていたのだと思います。
正直言って、代議員の皆さんのお気持ちは痛いほど分かりましたし、私も切ない気分で、孤立無援の心境で立ちすくんでいたと思います。
その場が、どのように決着したのかは、良く覚えていません。
おそらく、理事長が場をおさめてくれたのだと思います。
当時は私と同じような経験、あるいはもっと厳しい経験をされた年金数理人の方が、たくさんおられると思います。
私が担当していた総合基金で現在も残っている基金はありません。
(総合型DBとなった基金はあります。)
今となっては「総合基金での当時の苦労は、いったい何のためだったのかな」というのが、率直な感想ですね。